2009年4月15日(本部長通信515)
武道における教育論(5)方法T 心の教育

教育の理念から、自動的に教育の方法が導き出されるのです。
まず、必要なのは道場生一人一人の個性を伸ばしていくための教育ということになります。これは、当然指導者に似ていくための教育が原則なのです。そのための方法手段としての空手であるということは何度も述べているとおりですが、空手の型、実践を含めて継承していくのです。そのために、通信教育ではない道場での実践ということになります。
 したがって、最初の教育は、人格成長への実践なのです。指導者に似ていくためには、より空手の原点に立ち返り、稽古に励むことになります。そして、指導者が行き着いた境地へと目指すのです。師範が人生を検討した結果なのです。
 稽古で磨く内容は大まかに三つに分けられるのです。
 ひとつは、歴史を通じて完成度を高めた空手の技術を学ぶことなのです。すべての疲れを忘れてしまうほど空手道の追及は、道場生の生活に喜びと、表すことのできない探究心の満足につながるのです。当然強くもなるのです。
 第二は、稽古における苦しみぬく体験です。自分の未熟さ、勝負の負けた時の悲しさ、辛さの体験なのです。その苦痛が加えられるようになって、自分の胸の中で数えきれない釘が打たれ、槍が突き刺さるのです。この過程がなければ本物の人間完成へは通じないのです。
 第三は、悲しみの心です。世界の人々の悲しみに思いやり、食糧事情で亡くなる人々に思いをはせます。さらに身近では、一緒に歩んでいた先輩が突然裏切っていく姿に悲しみを深めるのです。頑張っていたあの子供とあの親がこの道場での稽古に見切りをつけ、去っていく悲しみなのです。感謝されて卒業とは別ものです。さらに、指導者達の裏切りも含まれてくるのです。当然割り切ることはできるのですが、そのことゆえに、指導者も道場生も教育されていくのです。
 このような心の教育は、合宿、審査会、大会、本部長通信を通した指導が考えられます。日常的には、小説、詩、音楽、絵画、演劇、ラジオ、テレビ等を通して、心の教育を果たします。
 ここで、教育になくてはならないことは、第一に、指導者が親の心をどれだけ持てるかであります。第二に、道場生をこの上なく愛して「私たちの先生が私を最高に愛している」という実感を与えられることです。第三に、道場生のすべての身辺のことに細心の配慮を持って見守ってやらなければならないのです。道場ではいかなる指導でも、心情的姿勢を持って全力投入しなければならないし、その時に、道場生は、深い感動を受けるようにしなければならないのです。
 それゆえ、道場生が、指導者の先生に対して、心から尊敬して愛したくなるように真心をこめた指導を原点としなければならないのです。このような道場生達の、指導者の先生に対する尊敬が厚くなればなるほど、道場生は先生の姿に似るようになり、その先生から言われることならば、何でも従おうとするまでになるときには、先生のためなら、生命も惜しまないとなれば、最高の指導ということになります。