2009年4月13日(本部長通信513)
武道における教育論(3)成長過程
極真空手を始めていく動機は様々あると思いますが、武道は精神と肉体の成長過程を通るのです。つまり、指導者の完成度、個人としてあるいは家庭としてのモデルへの達成度という道なのです。さらに、社会生活の在り方も道場生は貪欲に求めていくということになります。師範の場合、極真の文字にひかれました。それゆえ、道を極めるための道場ということになりました。
人間の成長は、肉体の完成度を目指すことであり、魂は家庭と社会に責任を持つことによって成長するということになります。それゆえ、心の成長は、個人として、しっかりレベルの向上を図り、心の感性を成熟させることを意味するのです。当時、反戦運動が盛んで外へ意識がいく中で、私は、松山千春やアリスに心ひかれ、自分の内面の世界を探求しようとしていたのでした。
その意味では、歌の歌詞と同じように、極真空手の教育内容を厳格に遂行せねばならないと思えたのです。その道標としての色帯があり、段位があると考えるべきです。道場生は、今までの極真空手の教えを忠実に全うするという高速道路のような軽い責任のみが要求されるといっても過言でないのです。武道における諸先輩が成長していった過程があるので、道場生は、わずかな努力で恩恵を受けるのです。師範も実践空手のなんたるかを大山総裁から惜しげもなく与えたもらいました。
したがって、道場生の責任は、指導者に対する従順であるべきで、指導者が道場生を教育することが原則であるという理屈になるのです。すなわち、指導者が自分の歩んだ極真空手道を道場生に教育することが原則になるのです。