2009年4月12日(本部長通信512)
武道における教育論(2)人間性

 武道における教育の原点は、自分自身を完成させることであります。このような、分かり切った内容に行きつくには、青春時代のすべてを投入したような気がします。全国をさまよい歩きながら、求めた末の結論でした。それゆえ、家庭を築くことに関しては慎重でした。さらに良き家庭を築くことの意識が強すぎるぐらい大切に思えたのでした。さらに、子女を生育する能力を養うこととなると、自分の能力をどのように向上させるかで、苦しかった青春ということになります。また環境を十分大切にし、活用できる能力を身につけるように努力したのであります。
 はじめに人格の完全性が柱になります。それは、自分らしい自分の発見ということになりました。自分の予約された人格像が本来あるべきと結論つけました。その人格を模索しながら切磋琢磨して自分のあるべき姿を探るのです。次に子供を育てるための、男女の円満な調和をなすことができる能力、すなわち、資格を身につけなければならないと思えたのです。当然男性と女性の内容ある調和を完全に備えなければならないのです。武道を志す者は、家庭内暴力などもってのほかになるのです。この観点はとても難しかったのです。安易に女性の声をかける自分でもないし、姉妹がいたわけでもないし、恋人を持ったわけでもないからなのです。それで、道場で女性の稽古生に話をすることで解決の糸口を見つけようとしました。そうすることによって、気軽に女性の声をかけることができ、姉や妹のような関係で男女のなんたるかを研究したのです。
 さらに環境問題に移るのです。環境を正しく支配することによって、「自然」の能力を発見することによって管理能力を身につけるのです。環境を自由自在に正しく管理するのです。この内容においては、専門科目のマスターがそれぞれの分野で必要となってくるのです。私の場合、社会の枠組みにはまるのではなく、列外に身を置き、自分が主体的に経済活動を展開しようと心で決めたのでした。
 したがって、私にとって、これらの能力を啓発させていくことが武道における教育の原点ということになるのです。師範がどのような能力を身につけようとしたかの種明かしですが、最初に原則論を大事にしました。次に正しい人間関係学を「人を動かす」でおなじみの、デールカーネギーを愛読しました。さらに経済力を身につけるために、会社の歯車となることなく、自分で運営する道を選んだのでした。