2009年4月10日(本部長通信510)
夫婦生活の実際と理念(12)

 私が三五歳の6月16日は喜びの頂点に立ったときであり、また父母として出発する準備をするときになったのでした。ある意味夫婦でいた私たちが家庭というレベルを公言できる立場になったと思えたのでした。この家庭は、私も妻も変えることができないのです。どの国の制度でも、どのような法律や制度でも変えることができないのです。
 家庭というものは、永遠に「革命」を起こすという名詞は必要ないのです。家庭は名実ともに愛の場であるのです。自分が父になり、妻が母になる。このことは、わが子聖義にとって絶対必要なのです。今まで夫婦の愛であり、これは私にとって絶対必要であり妻にとっても絶対必要なものでした。ところがもうひとつ子供という存在が芽生えた時から父母が子供にとって絶対必要である私たちになったのでした。
 その意味では幸福そのものという実感でした。鼻歌を歌いあえる、その環境は、まさに家庭でしかないのです。家庭の幸福は情緒的問題があれば成すことはできないのです。また、心情と愛がなくても成せないのです。
 反対に不幸になるということは、家庭を中心として考えてみれば、愛の安息地がなくなる時から始まるのです。その意味では、踏みにじったり、壊したりしまうのは、人でなしということになります。いくら芸能人が快く分かれたと装っても、恩讐の中の恩讐ということになりますし、愛を破綻させた許されざる恩讐なのです。