2009年3月29日(本部長通信498)
希望を願う師範(23)
私を応援してくださった、西井先生が、勝負するなら東京だということを何度か話されて、そのまま東京での営業を展開する約束をしたのです。拠点は東京都中央線中野駅前で、多くのスタッフと仕事を軌道に乗せていく戦いがはじまりました。
仕事が確立するまで、千順さんとは、別れたままの状態でした。連絡は頻繁に取り合っていましたが、東京での仕事は朝早くから夜遅くまでと休む暇もない状態が続きました。さらに、極真会館池袋総本部へ稽古に通うものですから、疲労度は凄まじいものがありました。
当時は松井氏、七戸氏、石井氏と、激しい組手をしていました。私も全日本に出場をかけて稽古に熱中していた時期だったのです。仕事の方は相変わらず、朝早くからミーティングを持ち夜遅くには飲食店で運営の状況判断と開拓の在り方などの協議を続けていました。よく食べるものですから体重はうなぎ登りに増えていきました。
仕事の拡大をすることを検討して、池袋のビル7階建を丸ごと借りての営業となりました。さらに、吉祥寺、そして、副都心の新宿と大きな営業母体と拡大していきました。千順さんを迎え入れたのは吉祥寺の時で、私はすでに三四歳になっていました。それからが、夫婦での二人三脚での人生の歩みとなったのです。