2009年3月28日(本部長通信497)
希望を願う師範(22)

三年が過ぎ、広島から四国の拠点作りということで、香川県高松に支店を構えました。市電の瓦町の駅前に店を構え、営業に奔走する毎日でした。ここでは長谷川師範の指導を受けたのでした。たばこを豪快にふかしながらの指導には面喰いましたが、昔の極真の伝統を学ぶことができたのでした。
千順さんとは、離れているので、手紙をよく書きました。この頃は、スタッフと一緒に居酒屋か、ファミレスによく通って打ち合わせや、次の計画を立てることが多かったのです。夜に結構な食事をとるので、体重は100キロを超えてしまいました。体格で勝負という組手になりがちな時期でした。
この頃のメインはスポーツクラブでのウエイトトレーニングということになります。空手の選手でウエイトトレーニングをする人が少なかった時期でしたので、特別な体格作りという印象を受けていた私でした。なぜならば、それまでは、細身の選手が多かったのですが、巨漢を武器にしての組み手は珍しくもあり、面白い観点に着目した形になりました。
 この頃は、全日本やウエイト制の全日本によく出場していました。仕事よりも空手、千順さんよりも空手という時期で、集中してトレーニングに励んでいました。高松の讃岐うどんはとても健康的で、よく大盛りのタライうどんを食べに屋島まで車で飛ばしたものでした。 振り返って、自分を中心として、自由主義というか、個人主義を私は主張していたようで、目上の人を重んじてその相対になって動くということがとても嫌いで仕方がなかった時期でした。私がめちゃくちゃ自己主張するので、スタッフはあきれ返っていたような気がします。私のタイプとしては開拓時代を突進していく人格のように思えて仕方がなかったのです。