2009年3月27日(本部長通信496)
希望を願う師範(21)

 広島では、千順さんの故郷へ何度も車で足を運びました。小さな時からの可愛らしいアルバムを見ながら、生い立ちを頭の中に思い浮かべたりしていた時期でした。森周治先生の道場では、一番弟子の田原敬三さんとの出会いでありました。私の一年前には黒帯でしたし、何度組手をしても歯が立つ相手ではないのです。
 黒帯を締めてからの私の目標は、田原敬三さんということになりました。一緒に全日本に出るのですが、彼は上位で、私は初戦突破がせいぜいというレベルだったのです。さらには、ウイリーウイリアムスと世界大会で死闘を演じて、一躍有名にもなりえました。それゆえ、道場では影の存在ということでしたが、目標があったのでやりがいがありました。全日本をはじめあらゆる試合に出るチャンスをいただいたことになるのです。というのも広島県大会は彼が一位で私が二位ということだからなのです。
 まさに、黒帯から選手時代への突入ということになるのです。田原敬三さんとの稽古は激しいものがありました。そのためか、仕事と空手で精魂尽き果ててしまい、家庭を持つなどという気持ちはさらさらないのです。一般の人と私との決定的な違いなのですが、籍を入れて夫婦にもならず、すぐさま別居なのです。私は夢中で選手としての戦いの場に臨むのです。
 本来ならば、妻を信じて、愛して共に住まなければならないのですが、その時は、妻を信じて、愛して共に生きるという決断を下したのでした。それゆえ、夫婦としての戦いではなく、あくまでも個人としての人生でありその延長だったのです。
 なぜならば、人生に勝利したかったのです。極真空手という自分を磨く研石に出会ったからには、ここにおいて、自分が信じられる人間に確立しなければという向上心と欲望にみなぎり溢れていたのでした。どんな環境であっても、必ず勝利できる人生の礎を極真空手道で築きたかったのでした。