2009年3月26日(本部長通信495)
希望を願う師範(20)
千順さんとの結婚へ動き出したのは、私の両親なのです。二人で、広島の生まれ故郷まで出かけていくのです。千順さんの両親に会って、承諾を得てしまう素早さなのです。さらに、結婚式の日取りまで決めてしまうものですから、二人の事より家同士の関係へと発展させてしまうのです。
私は北海道から飛行機で仙台へ帰ってきて、千順さんも結婚式同日朝早く到着して慌ただしく、式場へ行き、親戚にお披露目ということになったのでした。我が家の母方の兄弟は10人ですし、父方も10人程なので、式場は親戚だけでも大変な数になってしまいました。結婚式が終わるや否や普通はハネムーンなのでしょうが、私は北海道での仕事に帰り、千順さんも帰ってしまう始末でした。さらに、入籍は結婚式が終わり次第両親が区役所に届ける始末ですからあきれるばかりです。
その時期、私は、極真空手にマインドコントロールされていまして、黒帯を取るまでは一人前ではないと黒帯までの道のりをひた走りに追及していたのでした。結婚したのだから広島へ行かなければという思いがあったので、札幌での仕事を、すべて広島に移していくことになりました。すぐに、広島駅前に店舗を構えて、空手修行は高木道場から、可部にある、森周治師範の下での修行に切り替わりました。茶帯を頂き、1983年3月23日、黒帯の森義道初段の誕生を見たわけでした。