2009年3月25日(本部長通信494)
希望を願う師範(19)

 半年が過ぎて、私は千順さんの郷里の広島に出かけました。市内の横川に宿をとり、少しの間は話す機会を持ちました。わずかばかりの時間を共に過ごしたことになります。その時期私は、北海道で会社を運営していましたので、一年もたたず今度は、札幌での再会を果たしました。北海道では、道内を何日か旅行してまわり楽しい思い出を作ったのでした。まさに、出会って一年という期間に、この女性と人生を生涯過ごしていこうとする思いが心を清々しく満たしたことでした。
 何が愛情を培っていく上でポイントであったかというと、私が信ずるに足る、いつも変わらぬ心情の持ち主であったように映ったのでした。多くの女性が変わっていく中で、この女性だけは変わらない基準を維持して、生涯共に歩める人ではないかという再確認でした。どんな人生の荒波が来たとしても、共に愛することができ、共に生活し、協力することのできる関係が沸きあがるのではないかと判断したのです。この女性は私にとって変わらずに生涯を共にできるという確信なのでした。
 私が確信できたがゆえに、本格的に道場に通い始めたのです。千順さんと出会ったことが動機になりました。それまでは、渋谷で大山総裁の講演を聞き、本部で仕事の合間にちょっと稽古し、少し怪我をするとお休み状態の稽古でした。高木道場でもちょっと空手をかじる程度であったのですが、本当の人間になろうとする意欲、あるいは、この人を変わらず愛していくことができる人間性を確立するという意味で、曖昧な自分との戦いを空手の道場に求めたのでした。
 道場で稽古をしてみると自分の曖昧さが歴然と表れてくるのです。ちょうど、泥まみれの時には、あまり気にしない汚れも、石鹸で洗いだすと少しでも汚れがあるとごしごしと洗うのと同じように、初めて自分に対する厳しさを求めだしていくのでした。
 最初に信じられる自分を形成しなければならないと心に定めたのでした。この女性に愛されて、しかも信じられるようになるには、自分を変わらない本当の人間へと自己創造しなければならないと思えたのでした。