2009年3月18日 (本部長通信487)
希望を願う師範(12)
今日、二番目の娘と松山千春のデビューの映画を見に行きました。旅立ちというテーマでの上映でした。荒削りの自己主張の強い千春をラジオのSTB、札幌放送の武田デュレクターが拾い上げていくストーリーであり、最後は武田デュレクターとの死別でした。師範は二十歳の頃から八年間札幌にいた時代にテレポートしておりましたが、娘は千春と武田の関係の深さに感動していました。
あっという間に、三五年の歳月が過ぎてしまったと映画を観ながら感慨深く、目に涙さえ浮かべながら映像に見入っていました。限りない過去に一足飛びに帰っていく自分に気が付きました。「早く青春よ!大成せよ!」と思いながら歩んでき来たのにもかかわらず、千春のコンサートを始めて聴いてからこんなにも長い期間が過ぎたのだと速さを感じました。
考えてみたら、三五年という歳月が、映画の中で瞬間に在るという現象に出会い、どれだけ速いのかと、気持ちがこみ上げてきました。映画が、とにかく早かった自分の人生を知らしめていました。実際に過ぎた三五年は自分にとって早い人生であります。
空気はそこで黙っていれば何もないのでありますが、私の場合、スピードを出して過ぎた青春で、空気が強風に、さらに台風として自分に襲いかかったのでした。まさに人工衛星が無重力圏から重力圏に突入した人生のようでした。とにかく、早い人生は、溶けてしまうような思いで大変だったような気がするのです。それで、こんなこともやるのか、もうおしまいじゃないかと考えたことはあまりにも多くあったのでした。
しかし、過ぎ去ってみれば、すべてが楽しい思い出として、脳裏に焼き付いているのです。こんなに早すぎた人生が本当によかったのかどうか考え直すのですが、例えると、蹴られて痛いと感じた感じ方は、早かったから一瞬のうちに終わったのだと納得しているのです。理想的な人生だったと考え直しているのです。これからも師範の人生は、「早く」をテーマに推し進めていくのだと今更ながら感じています。