2009年3月17日 (本部長通信486)
希望を願う師範(11)

極真会館において、道場生が持たなければならない資質は、純粋な人間ということであります。稽古を通して純粋な人間とは、どういう道場生を言うのかというと、変わらないで稽古をし続ける人間であります。極真空手と共にあって、変わらずに稽古を続けていく人間であります。そこまで頑張って初めて純粋な人間ということになるのです。
 さて、今の道場生は変わってしまうものか変わらないで稽古を続けることができる人間なのかが課題となります。極真空手で自分を成長させようとして稽古と一致させて、これ以上限界であるという稽古をし続けていくのであります。自分が稽古をこれ以上できないというところまで追及するのであります。
 道場生のみなさん!どうです。稽古を続けることができるのですか。それとも続けることができないのですか。「ああ士衛塾の方いいのではないか、極真会館松井派がいいのではないか、新極真会がいいのではないか」どうです?変わるの、変わらないの、「ああどこの道場の方が、極真会館よりいいのでは?」今までの道場生の中には、そんな道場生もおりました。「他の道場の方が極真会館よりいいかもしれないと行ったり来たりするような。そのような道場生を鑑定してみてください。」
 まず、極真会館が高い基準を満たして、歴史的出発の原点に立ったことを思い出してください。極真会館の大山総裁が原点になってそれを真似しているだけの他の空手道なのです。極真会館は絶対変わりません。個人の環境から生涯変わらない決意を極真会館宮城県本部は歩み続けてきました。なぜなら、その基準から希望、あるいは純粋な人間、純粋なる人生を見いだせる可能性があるのです。
 師範は生涯変わらない決意をしています。それが「希望」であり、「純粋な人間」であり、「純粋なる人生の道」だという可能性があるからです。