2009年3月16日 (本部長通信485)
希望を願う師範(10)

 最近師範は思うのです。例えば、動物(犬・猫)が生きている時、私たち人間のように自然を眺めるとき、天然色に見えないそうなのです。あくまでも白黒の延長でしか見えないそうです。しかし、人間は天然色として目に映るのです。人間には自然を眺めるときにこのレベルがあるのです。
 今まで、人々は幸福(家族の幸せ)を求めて人生を歩んできました。それが見つかろうと見つけることができなかろうと、その幸福(家族の幸せ)に向かっていく方向性が存在するのです。人の人生が間違っていようが正しかろうが、幸福(家族の幸せ)を求めていく一点にあるのです。そういう意味では、誰もが間違っていない基準を心の中にインプットされているのです。
 つまり、人間として純粋な基準が元々存在しているような気がするのです。保護司をやっていて、罪を犯した人でもやはり幸福(家族の幸せ)を願っているし、死刑囚が最後に思い浮かべるのは家族のことであるとよく聞きます。
 幸福とはもちろん、衣食住を満たしていくことであろうけれども、人間の原点が家族とともに生きるということなのではないかと考えてしまうのです。人間には、自然をフルカラーで見ることができるように、邪悪な思いを乗り越えて良き家族を築いていくことに原点があるのです。
 その意味では、仏教のお坊さんや、キリスト教の神父、シスターの生涯独身という人生には無理があり、彼らの精神の中では、絶えず家族というテーマが心にあるのです。