2009年3月15日 (本部長通信484)
希望を願う師範(9)

 師範はどういう指導者であるかというと、極真空手を真面目に一筋に続けてきた人間であるといえるのです。有名選手になったわけでもなく、自分でできる範囲をコツコツと実践してきたのでした。極真会館が無名であろうが有名であろうが関係なく続けてきたのです。極真会館に見切りをつけていく輩もいました。しかし、変わらずに推し進めていくということを自分の信念にしてきたのでした。
 ある意味で、自分の人生を決定したのでした。そうでなければ、永遠とか理想とかという分野は極真会館から生まれてくることはないと思ったのです。私の五感からこの団体で理想を追い求めたかったのです。分析してみて、検討してみて、変わらないで極真会館と共に歩もうと決意したのでした。
 当然青年時代は、稽古が厳しく、止めようとしたことは何度もありました。こんな稽古をして何になると思ってふてくされてこともありました。それでも、肉体が問題なのか、精神が問題なのか何度も問いかけて、より内面の世界を追及したのでした。心の奥底では変わらない精神面を追い求めていったと思うのです。
 本当に人間の価値、正しい人間の価値がなんであるか、自分で自問自答したのでした。ここで極真会館をやめて未来に自分の理想的存在が現れてくるとは絶対に間違いであると自分に言い聞かせたこともありました。その意味では、純粋な人間の自分を探し求めていくには現在の立場から前に進むというより、若き日の青春時代からさかのぼっていくことにしたのです。師範の基本的立場がそこにあったのでした。