2009年3月13日 (本部長通信482)
希望を願う師範(7)

 極真空手に目覚めて、稽古を始めたものが、ある程度のところで満足して、前進しなくなってしまう人が多いのです。すべての地球上の存在を考えると、すべてのものは、これ以上変化することができないという限界を持っているのです。真実を貫くということになりますと、変わらない存在であることが、比較の中心ということになるのです。
 たとえば、水はH2Oでそれはいくらやってもそれしかならないのです。春夏秋冬いつでも水なのです。水はどんなに圧力をかけようが変えることはできないのです。純粋な水という時にもう帰ることができない状態のことをいうのです。
 水はH2Oだからすぐわかるのですが、人間は何でわかることができるかなのです。何が本当の人間として認めることができるかなのです。本当の人間を探り出すには、どのようにしたらいいのかなのです。
 変わらない人生を歩み続ける人が真実な人間ではないかというのです。なぜなら、私たちは、宝石をよく好むのですが、たとえば金(ゴールド)を考えてみた場合、アメリカの発展の歴史には西部へ向かって金の鉱山を探しに行った歴史があるのです。価値があったからなのです。どんな価値が金にはあったかというと、硬さにおいては実にもろいのでありますが、色において金は何千年何万年たったとしても、色において金色の光沢を放って変わることがないのです。それゆえ、宝石としての価値なのです。
 色において、金は絶対不変なのです。変わらない色を持っているのです。そんな事を思った場合、変わらないで極真空手の修行を続けていった人は金のような価値ある人生を歩めるのではないかと思うのです。