2009年3月11日 (本部長通信480)
希望を願う師範(5)

 自然界は、川の流れから海へまた新しい方向に向きを変えます。それと同じように、人間の生涯において、青少年時代から、家族を守っていく時代へ向きを変えるし、さらに、社会に奉仕していく時代があっても良いのではないかと思うのです。
私たちは、空から落ちた水滴ではないかと思うのです。その水滴が合わさって、だんだん大きくなって小川になります。さらに大河になって、国を流れ、世界へ向かうがごとく、大洋に向かっていくのです。師範の人生も航路であると思う時に、自分という存在が不思議に思えて仕方がないのです。 
私たち水滴が、どこの土地を流れてきたかによっていろいろな水滴の要素が違ってくるのです。そのいろいろな要素が入り混じって一つの川になりその川が大洋になるのです。私という存在は、大きな川とか、大洋というと比べてみた場合、川よりも、大洋よりも自分なりの個性を輝かせたいと思うのが人情なのです。
自分という存在を正してみた場合、自分が川や大洋に吸収されるよりは、出来るなら吸収したいと願うのです。比較してみて、必ず比較の中心になりたいと心から思うのが人情であり、人間としての希望に満ちる考え方なのです。
私たちの希望は、その意味では、川の流れや大洋の流れを無視してでも、自分たちの個性を持ちたいと願うのです。もちろん、あるものに吸収されるより吸収したいと思うのです。当然比較の中心体に成り立ちのです。それには、大変なリスクが伴うということです。それを果たせるのは、僅か一握りの人でしかないことを理解しないで、重い十字架とともに、困難さの憂き目にあってしまうのです。それでも果たす価値があり、その方向で対処しても良いことか真剣に考えるべきなのです。