2009年3月9日 (本部長通信478)
希望を願う師範(3)

 今の師範は個人の存在というものではありません。極真会館が存在しての歴史的伝統を踏襲しての師範ということになります。それだけではなく、空手道が始まって以来ずっとつながっているのです。川の流れは、急流とか、広々とした川の緩やかな滔々とした流れとか、滝とか、カーブとか様々な状態、様相があるのです。
 今の極真会館も空手道という川の流れからすると、いい結果とか、悪い結果とか、さまざまありますが、その流れなのです。とんでもない状況とか、一方的に流れていた川の流れが、分裂とか様々あって、横になったり、滝のように縦になったり、あるいは滝壺のように渦巻いてしまったりする現象があるのです。師範は当然、流れの一つの場面に現れた一つの現象として考えることもできるのです。
 ところで、今、この空手道が海に注いでいるのです。世界196カ国の人々が空手道に触れてその影響を受け、空手道に道を極めていこうとしているのです。そこには、白色人種もいればあるいは黒人とか黄色人種とか様々なのです。三色人種が集まって、サマーキャップや大会を開いて多くの人たちを虜にしているのです。これは極真空手が世界に受け入れられているということなのです。
 そういう意味では、私たちの問題点をはっきりさせなければならないのです。本家本元の日本が伝統派空手を含めて、一つになるのはいつのことなのだろうかということなのです。別れに分かれてきている極真会館であります。大山総裁の死後さまざまな問題が噴出した歴史がすでにあるのです。極真会館にすでに事件はつきものとなっているのです。これから極真会館は、分裂したものを一つにすることが願われます。
 いくら人種が違っても、あるいは環境の生活が違っても、さらに民族習慣が違ったりしていても、目的が空手道ということになりまと、その目的に、何十、何百の派が存在したとしても、目的は一つ、空手道の発展にあるのです。川が海に注ぐことなのです。