本部長通信464 2009年2月23日

極真会館の理想(3)

 空手道における純粋な追及心は、中途半端で終わっているような気がするのです。今までの空手道をみると空手の目的である人間完成は、どうなっているのでしょうか。意外と、誤った選択をし、その結果今のような状態であるとするならば、はじめに、空手道というものが意図したものと違っているのであると思うのです。
 比較対象としては、極真空手と伝統空手に見ることができるのではないかと思うのです。ひとつは、一般に受け入れられて、もう一方では世間から隔離されたように、理解しがたいものになっているのです。伝統空手は、ある意味で世間一般からの指示を受ける資格を失って、自ら作り出した虚構の中で曖昧になっているのです。
 極真空手のような実践空手は、今国民に受け入れられて益々大会や活動がはなはだしく、盛んになっているのです。ある意味で、多くの実践空手の先生方は、あらゆる活動と創造に熟知してきているのです。実践を通して、暴力という間違いを起こさず、真の伝統を立てるべく期待されているのです。
 空手の最終目的は人間完成と定義しましたが、一人の男性として、あるいは女性として完成の極致を求めた結果、修道士やシスターでない限り、お互いが、家庭を持つという段階に入ると思うのです。さらにお互いが、夫婦として社会に荒波を乗り越えていくことができる精神力を身につけることが大切なのです。それが実現されるならば、家族として繁栄していくことになるのです。