本部長通信449 2009年2月5日

師範の今後の希望(5) 戦う師範

 極真空手に出会った私は、21歳、1975年でした。大山総裁の講演会で素晴らしく感動したのがきっかけでした。師範として出発するまで、26年間、毎日修行時代は続いていました。その間、経営者としての人材を切り盛りしていましたので、経営と空手における自己管理という二足のわらじでの生き方でした。つまり、車の両輪ということだったのです。
 意外と自分の生き方に、自分では文句も出なかったのです。会社の経営と空手の修行は、家族を守るための原動力になりました。その修行時代は、地方の県大会、あるいは西日本大会とかに出場していたのでした。空手では大会に出るものですから、日常生活は敵を前にして追いつめられる生活でした。
 大会で勝負しなければならない日々が続いたのでした。この26年間、戦い続けるのをやめることはなかったのです。
勝つことも大切でしたが、納得のいく組手をすることが目的でした。結構大会は死ぬ気で行かなければ勝負にならないものです。そしてのるかそるかで勝敗が決定するのです。
 組手で、肋骨が折れていたり、足の指が折れていたり、負傷は当たり前の世界でした。私の戦い方は、激痛が走る中、決して戦いを諦めようとしなかったことなのです。試合に負けても、自分の心の中では、自分に課した試練に打ち勝ったという気持ちが膨れ上がったよう気がします。
 その戦いの最中での、黒帯昇段があったりしたので、もはや、自分は極真の有段者という誇りと自信にあふれていたのでした。