本部長通信446 2009年2月2日

師範の今後の希望(2) 理解しがたい命令もある

 師範の命令は、理解しがたいことがある。朝5時に集合して、例えば、家を建てるのに仙台の市街地に立てることを必要としているのに、山の上に家を造るような命令になっている。師範についてくるのは、大変だと思う。ここにいる指導者の中で、何人がそのような命令を受けることができるかなのです。
 何人の指導者が、そのような命令に従い、みじんも疑わずに仕事に取りかかることができるかなのです。師範のやることは、極真会館の中でも、とても理解することができないことを平気でやってしまいます。ましてや、今後の危機に関して、展開する命令を理解することなどできないのです。
 師範は、みんなにどのように思われようがやってのけます。師範代をはじめ、心落ち着く気分になるには大変な努力が必要になるのではないかと思います。 
 しかし、すでに、師範は十数年の間続けているのです。なぜ、師範は理解しがたいと思われることを実践するのでしょうか。それには理由があります。みんなが真剣に取り組むためです。
 というのも、強烈なある感情をもった反逆した連中がいるとします。その人に、みんなは似たいと思うでしょうか。
それらの人と同じ特徴である自分があるとしたら恥ずかしさを感じるはずです。だから、ある意味で、師範は日常的な事柄でない考えられないことやつらいと思うことも実践してしまうのです。