本部長通信435 2009年1月22日
師範の個人的な話(22)
指導の在り方を検討する内容になってしまった。指導の先生が二人以上の場合のことである。お互いがどのように分配して指導するのかを最初に打ち合わせをして、シミレーションすることが大事になってくる。お互いプライドを持った指導者である。
たとえば、師範が指導のパートナーであったとしても、遠慮はいらないのである。しっかり打ち合わせるべきである。何故なら子供たちの稽古を思えばということになる。子供たちの要求に叶って、二人の指導者がきめ細かく指導で来たならば、それは成功したということになる。
子供たちは、教室で指導者の人格に触れるのである。指導者の人間性と人格は、空手道という技術を通じて愛情の表現として表れる。二人の指導者の愛は子供たちにとって平等に映る。愛情を中心に子供たちは指導され、指導者は指導する。空手道を原点とする愛は子供たちの希望の基点になるのである。
指導者は信じられて当然である。しかし、信じられて指導している指導者よりも、心情的に連結されている指導者の方が先に立つことは間違いない。そういう意味では、指導者は心情的な内容に対して専門家になってほしい。子供たちが、童心になって父母の胸に抱かれるような環境ができれば最高のクラスである。