本部長通信423 2009年1月10日

師範の個人的な話(10)

 今日は、国見スイミングのクラスの稽古である。身体の調子がまだもどらないのである。
しかし、そんな事を言っている場合でないので出かけた。稽古するにあたって、師範が行かなくても代わりの指導員はいるが、子供たちの心の故郷としての師範の代わりはいないとおもい稽古した。
 子供たちは、元気で集まっていた。もうすでに四年も稽古しているしっかりした子供がいるので、指導を任せ、師範は、できてない子供たちの基本の手足をとりながら指導した。
指導の目的は子供たちの身体の成長が目的であり、身体の目的は子供たちの成長を願って心を鍛えるのが目的となる。
 稽古をするとき、技術的なことも大切であるが、心を伝えるのがより重要であると、心を目的にしなければならないと今更ながら考えさせられる。空手の技術を学ぶ子供たちに、極真空手の心を伝えなければならないと感じるのである。
 師範が求めている極真空手の真髄は、心である。だから、心情的技術、心情的型、心情的組手で、各々が極真空手の真髄である、内容を解明していこうというのである。