本部長通信399 2008年12月17日
黒帯I
黒帯に対しての思いは、常に道場で黒帯を続けて締めていることができるかという問題なのである。確かに審査を受けて取得したとしても、根が浅ければ、枯れてしまう。砂漠に根を生やしたように、日があたり水分が無くなって枯れてしまう黒帯をたくさん見てきた。池袋の本部道場では、黒帯を取るのが最終目的で、その後、本部道場に顔も見せない先輩もたくさんいた。
何度も言うが、師範は黒帯を占め続けていけるかどうかを干渉するわけにはいかない。本人の責任の領域なのである。それゆえ、黒帯を締めてから、どれほど深く植えていくことができるかなのである。確かに、深く植えれば植えるほど芽生えるのも遅くなる。
成果を出すことに焦れば、枯れ果ててしまうのは当たり前である。極真の歴史は、もう半世紀も経ってしまった。その中での黒帯であることを考えれば、焦る必要もないのである。現状で十分草創期の黒帯としての認定を、後世の人から受けるであろう。今の歩みが極真の歴史そのものである。
さらに、黒帯の理念は、権威を見せびらかすことではなく、黒帯を締めているがゆえに、どのぐらいの人々を尊敬できるかなのである。人間として、本当の意味で多くの人を尊敬することができるのは、黒帯を締めてからであると断言する。余裕をもって自らの人格と照らし合わせながら、多くの人に敬意を払うことができるのである。それもあらゆる分野の諸先輩方に敬意を払えるのである。