本部長通信388 2008年12月6日

陽のあたる坂道A


 今日、師範は自分で極真の公的な立場に立っているのではない。地域社会、極真の伝統と一致した立場で、その位置をつかみ取ったのである。だから極真の使命を知って、その信念を持って現実の中で再現しているのである。極真という公道が、師範を厳格に無情に駆り立てるのである。それゆえ、極真ということで公憤の気持ちもわき出るのである。
 私的な事情が通じることも良いが、いったん極真となれば私的な事情は切らなければならない。極真を立てるために、私的な事情を切ることもある師範である。だから、いろいろな苦情も聞かない師範となることもある。しかし、極真のためになることならいくらでも聞く。
 私を、極真の師範であることを認識しなさい。師範は上下、前後、左右の中央の位置にいるために、責任のある立場である。その位置が崩れれば全体が崩壊してしまう。上には私の父母がいるし、年長者がいる。下には私の子供たちがいて年少者がいる。前には、大山総裁、手塚会長がいて極真の先輩たちがいる。後には、大友師範、菅野総師範代、弟子や後輩がいる。今日の合宿一日目は、前後の輝きを見た。道場生が本当に頑張った。手塚会長の姿、弟子の姿がまぶしかった。さらに、右には兄弟がいるし親友がいて同僚もいる。左には、極真に離反していった者がいるし最悪反対者がいることになる。
 師範自身と合わせて、関連者は七数になる。だからこの関連者の代表はラッキーセブンなのか?