本部長通信381 2008年11月29日

道場の作戦C


 心苦しいときは、沈黙しかない。そして計画を立て続けていくのである。それでもできないと判断した場合は、別な作戦へ変更する。戦略の基地は、家庭である。いつも、極真空手道のために、出動準備をしなければならない。家族が出動して、こちらから道場生に出向いていく。自分の親戚も親友もすでに、師範の家庭は、極真空手の家庭になってしまった。
 極真空手の伝統の接ぎ木は、家庭であると確信している。師範個人を見ているようで、家族を見ている。家族でもって誠意を尽くしていくのである。たとえ、実りがなくても後悔しない。何故なら、家族を顕現させたではないか。自分の指導のみを念頭においていくだけであったら滅びる。大友家なら大友家、菅野家なら菅野家、家の良き伝統を立てなければ、道場生は誰も長い期間付き合わない。個人では危ういのである。そして、家族が極真空手への道を広げるものなのか、妨げるものなのか、反省してみよう。
 さらに、家族でいざこざを抱えながら指導したら、心の呵責をうけ、病気になってしまう。心の不一致のまま、不穏な状態の家族を尻目に道場生を指導するようなものなら、家族と道場生に損害が降りかかる。家族に原点を置きながら、家族に委ねて、謙虚な立場に下がっていかなければならない。
家族はあらゆる判断の羅針盤である。牛は、毒草と良き食べ物を分けて食べるし、自分が食肉になってしまう時も知るという。いわんや、自分の家族が、家族の生きる道とそうでない道の区別はできないはずはない。自分たちの家族が出動して、道場生に対処していったのにかかわらず、相手が受け入れず、反逆する立場に立ったならば、相手が築いてきたすべての恩恵を奪うことになるし、相手が築いた功労も自分たちのものになっていく。