本部長通信379 2008年11月27日

道場の作戦A


 今の子供たちの教育現場が、満たされないで呻いている多くの状況を見る。何とかしてほしいと怨声が天地に響き渡っている。この声を聞く道場でなければ、極真空手ではない。わが極真空手の任地で、多くの町の人の声を聞き、この町の伝統を知り、その町のために何ができるか、自信を持って取り組まなければならない。極真空手の信念と生活姿勢を持って歩まなければならない。
 子供たちを指導した汗と涙を流した所が、道場であると考えなければならない。学歴が、自分の一生を付きまとうものである。同じように、この道場での汗と涙の指導が永遠について回るだろう。
 ところで、師範には道場で、生死の頂点を共に越えることのできる人物がいる。ありがたいことである。その人物とは、多く目で見てきたし、口で多く語り明かしたし、耳で多く共に聞きあったし、心で大いに心配したし、その人物のために何でもしてきたつもりである。素晴らしい、師範にとってかけがえのない弟子であり、友であり、指導者である。
 素晴らしい指導者に囲まれたとしても、最後に、あらゆる問題の根源は、師範であると結論づける。一生懸命道場で指導していても、師範は、この道場で乞食になっているのか、見物人になっているのか、本当に師範としてみんなの前に立っているのか等反省させられる。指導しているとき、当たり前であるが、みんなに世話になっているのか、世話するために指導しているのか絶えず考えさせられる。
 特に指導者対して、指導者を利用する心を持って扱うことなど、師範の道は絶対にないと断言できる。誰に対しても利用しようなどという心を抱かない。だから、この道場では全員が先生なのである。