本部長通信377 2008年11月25日

責任感C


 この瞬間、明日を開拓するか否かの厳粛な起点にいる。責任を持つことを恐れる毎日である。師範が立てたプランが本当に実行できるのであろうか。ローテーションはうまくいくのだろうか。極真会館に責任を持っているがゆえに、責任を持って常に誠を尽くす生活をしなければならないと。
 師範の前で、「この責任を私に与えてください」言える人がいるかどうかである。客観的に事実をただ羅列するようではどうしようもない。ここに責任を持ちますから、このように発展させますと言明しなければならない。師範の命令に答えてくれる人がいなければならない。森林を形成している草木も、ある期間がすぎ去れば各々自然に成長している。いわんや、指導者はどうであろうか。
 師範は、ある一人の指導者に、責任を加重させている。早く全体を思いながら、自分の責任を全うさせんがためである。そして、時が来たならば、喜びをどれだけ立て得るかということである。自分の責任をなさないのに、実りだけを願えば、堕落する。忘れてならないのは、栄光よりも責任を完遂しなければならないことである。栄光は自分からは始まらない。
 名前だけ師範の代わりになることなく、責任において師範の代わりにならなければならない。もちろん一度責任を持ったら死ぬか生きるかである。師範の前に弁明しても仕方がない。師範と約束したら、たとえ損害を被ろうとも、その責任は全うしなければならない。