本部長通信364 2008年11月12日

指導者G


 師範の出発は、栄光の極真空手の道場主として出発したのではなく、十年前、最低の立場、国見スイミングのコーチとしてわずかな時給650円から始まった。親子も離れた若い女性からの指示を受け、三年半歯を食いしばって務めた。直接の人間関係だけに厳しすぎるものもあった。投げ出したくもなった。そのような状況で出会った弟子たちが、今の極真会館を支えている指導者である。また、その時の支配人が弟子として馳せ参じてくれた。
 本部道場なくして運営することができない。確かに師範は当時、極真会館の黒帯であり、全日本に出場している常連であることは誰もが認めることである。ところが、指導者となると話は別である。責任者の地位を無条件に与えてくださるかというと勇気がいることである。その地位を惜しげもなく与えてくださったのが手塚会長である。この恩は一生忘れることはできない。勝手に名乗っているのではない。歴史と伝統を踏まえての名誉ある位置を名乗るのである。もちろん、指導者としての手塚会長が納得する人間性を提示し続けたことも走馬灯のように脳裏を横切るのである。会長には、弟子に裏切られた過去が脳裏を霞めていた。
 師範はこのような、内的な基準を確立してから外的な世界へと展開していった。つまり、黒帯を取るまでの修道修業であり、厳しい稽古の連続を歩み続け、その頂点に立った時、「しもべ」のような世界に身を置き、弟子たちを集め、一つ一つ道場を築きあげ、盤石な礎を築いてきたのである。道場の指導者は、ある意味では外的な基準から内的な世界へと求めてこざるを得ないのである。それゆえ、理解できないことがあるが、一点で出会った時には、感動して夜通して事情を分かち合えるときが来るのである。