本部長通信357 2008年11月5日

指導者@


 昔、医療の設備も整ってなかった故、母親は、病にかかっても子供に乳を与え続けなければならなかった。そのことを考えると、指導者は疲れとか自分の事情というのはあり得ないのである。指導者は、そう考えると極めて悲惨なのである。社会と四つに組んでさらに新しい伝統を立てなければならないのである。
 さらに、開拓者であるがゆえに、きわめて寂しいのである。資料を収集しながらそれを作っていく道だからである。それゆえ、希望的な人にならなければやれない。極真空手の伝統を無視するようでは現実的責任者にはならない。現実に指導者になるために、極真空手の歴史の相続者になろうとするのである。いろんな人間の欲望があるだろう。無法地帯に極真空手の道はしたくないのである。無法者の集まりには決してしないのである。
 極真空手の伝統を受け継ぎ、正しく指導できてこそ初めて、伝統の相続ということになる。指導者は師範からにじみ出る極真精神を学べ。