本部長通信356 2008年11月4日

極真空手道


(2)指導者意識と民主主義
 民主主義の原則の成立の動機は、アメリカ合衆国の憲法にも見受けられるように、神の前での権利の平等の思想に由来する。ジョンロックの自然法思想は、人間は神から平等なる自然権(生命、自由、財産に対する権利)を賦与されているのであって、国家によって賦与されているものではないというものである。この思想に民主主義が成立するようになった根拠を求めることができる。
 それゆえ、要約すれば神の前に対象としての人間の権利の平等ということになろう。それゆえ、民主主義は対象意識が前提になるということになる。ここで対象意識というと秩序の意識が重要視されるのである。健全な社会の間は秩序意識が存続されてきたが、現代において秩序意識は薄れ、主体意識のみが残存し、社会は混乱に混乱を重ねるようになってきている。
 民主主義の秩序回復の原則は、正しい主体格位を確立することである。その意味でも、武士道を通じての指導者の確立は急務である。その指導者は全体目的を個体目的より先立たせねばならない。さらに、主体と対象の格位において対象格位を重要視するものでなければならない。したがって、対象意識の基盤の上に主体意識を立てる民主主義の社会が願われる。
 
本性論の結論
武道を嗜むものとしての武人は、つまり、極真空手道を通じて求めていく人間像は、
第一に、心身を錬磨する武人であり、
第二に、精神と肉体が調和され武の真髄を極めた人格を目指し、
第三に、妻と家族を大切にし、
第四に、愛情と思いやりにあふれた人格的存在として、
第五に、天道に恥じない礼節を重んじる規範的存在であり、
第六に、創造性を駆使して知性と体力を向上させる人間となり、
第七に、神仏を尊び謙譲の美徳を知る、主体と対象を兼ね備えた格位的存在を追及することになる。