本部長通信354 2008年11月2日

極真空手道


三 格位的存在
 人間は格位的存在である。
(一)対象格位
極真空手道を歩む武人としては、生活において正確な中心を持たなければならない。道場ですから、師範が中心ということになるが、師範を中心にするということは、法度がある。その法度に背くときには、師範はとても怒ってしまうのである。道場生を愛する師範にとって道場生の一つの行動に胸に釘を打たれたり、抜かれたりする思いがするのである。
師範は道場生を愛しているがゆえに、怒りが多い。ともすると、間違えて師範から怒りを買うことになる。ですから、いつも道場生なりに、師範を喜ばせてあげようとするとありがたいものである。
心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くせという言葉は、命がけに人生歩めということである。至誠の限界点は、死ぬ覚悟で稽古に励んでいる道場をみると、師範は無関心でいれなくなるのである。これは、武人たるもの対象意識を持たなければならないということ訴えるのである。
つまり、道場では師範の主管を受け、師範のために尽くそうとする意識である。例をあげるならば
1 君主への対象意識→侍奉、忠誠心
2 国家に対する対象意識→忠誠心 
3 父母→孝行心
4 師、偉人→尊敬心
5 上官→服従心
6 全体→奉仕
7 共通的な対象意識→謙遜、柔和、尽くそうとする心
もちろん、対象意識の誤認性ということも、頭の中に入れなければならない。偽の主体にだまされることである。悪徳執権者は大衆の対象意識を利用したことになる。