本部長通信352 2008年10月31日

極真空手道


 (二)言葉とロゴス
聖書に、「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。すべてのものは、これによってでた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」と書いてある。言葉は、普段から大切なことである。表現一つを間違えるとその人の人格が疑われる。人を活かしもするし殺しもする。よく「べらんめ調」がいいような表現をする人がいるが、言葉の大切さをまだ十分理解していないようである。誰に対しても、大切な一つ一つの言葉を心に乗せて話すべきである。何故なら、言葉は聖書でいう神であるというくらい大切なのである。
さらに深く追求すると、言葉は、考えを意味し、理法は法則を意味する。したがって、言葉とロゴスは、考えの側面と法則の側面があることと知ることができる。その意味では、言葉そのものから、構想と設計図が展開されてくるのである。
普段の生活で理的要素と法則的要素が調和されてあらゆることがなされていくのである。
ゆえに、武人の人格的行動は言葉とロゴスであるということを前提にすると、自由性と必然性の調和であり、目的性と機械性の統一であると考えてもいいのではないだろうか。言葉を中心に考えてみたが、人間生活において言葉は価値法則、すなわち、道徳と倫理として表れるのである。ゆえに、武士道を歩む武人として言葉は大切に丁寧に愛情をベースに語らなければならないという結論に到達する。