本部長通信346 2008年10月25日

極真空手道


(9)極真空手道の「魂」
 空手道は、武人として身のまわりを決して離れないのである。空手道は家にあっては、書斎から客間の最も目立つような自分として存在させる。夜は寝室で枕もとに自分の空手道がある。空手道はいつも一緒にいる友なのである。自分にとって空手道は神様なのかもしれない。自分の空手道を、神社の如く、大切に保存しているのである。
 昔、刀鍛冶は単なる職人ではなく、霊感を受けた芸術家であった。その仕事場は聖域であり、彼は、毎日祈り、身を清めてから仕事を始めた。そして、彼の魂と霊を鋼鉄に練りこんで鍛えて打ち込んだのである。鎚で打ち、水に焼きを入れ、砥石で研ぐ行為はまさに宗教的行事であった。
 自分たち極真空手道を実践する者は、空手を見境なく使用するのだろうかということである。その答えは否である。もし誤った使用をするならば、避難嫌悪するに値するのである。もちろん破門である。空手道を振り回すものは、卑怯でありほら吹きである。
 私たちの空手道は、丈夫に紐で結んで、決して使ってはいけないものなのである。本当の勝利は暴徒のような敵には抵抗しないことである。最上の勝利は戦わずして得た勝利なのである。結局、極真空手道の究極的な理想は平和なのである。