本部長通信345 2008年10月24日

極真空手道


(8)生死の境
 武士道を学ぶものにとって、師に急いだり死を求愛したりすることは、ひどく臆病卑怯なことにあたる。模範的な武人は、戦いに次々破れ、山から谷は、不毛の地から砂漠へ、追い詰められようとも、その刀はボロボロになり、弓は折れ、矢は尽きたとしても、死ぬのは卑怯と心得、自らを元気づけるものである。
 それは、武士道が教えるところなのである。どんな艱難辛苦が待ち受けようが忍耐と純粋な心ですべての災害や逆境に真っ向から耐えよというのである。孟子は「天の将に大任をこの人に降らさんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ。その身を空乏し、おこないそのなすところを払乱せしむ。心を動かし性を忍び、その能わざるところを曽益せしむる所以なり。」
 真の武士の名誉は天命を成就することにあり、それを行うために招いた死は、不面目ではない。それに反して、天が用意したものを避けるための死は、まさに臆病である。