本部長通信342 2008年10月21日

極真空手道


 (5)世間を相手にする「名誉」
 名誉とは、わが名を守ることであり、人格を築くことであり、名声をという外聞を良くすることである。自己の評判が高く評価されているときはよいのだが、その名の高潔さが侵されでもすると恥と感じることは当然のことと考えるのである。
 それゆえ、道場生の青少年教育で大事に育てるべき最初の徳の一つと考える。「笑われるぞ」、「名が汚れるぞ」、「恥ずかしくないのか」という言葉をよく使う。青少年の行動を正すためと名誉に訴えかけるのである。子供たちの最も敏感な点に触れるのである。
 極真空手道にとって、生涯の最高の生き方は、富や知識ではなく、名声こそが、青年の追及しなければならない目標でなないのだろうか。私が、高校を出るや否や、親の家の敷居を跨ぐとき、世の中で名をなすまでは再び家をまたぐまいと心に誓ったものであった。
 また、多くの大望を抱いた母親は、その息子が大志を果たして、故郷に錦を飾らなければ再び会おうとはしなかった。恥を免れ、名を上げるためなら、どのような貧乏をも耐え忍び、心身の苦しみの最も厳しい激しい試練も耐えなければならないのである。名誉と名声が得られるならば、命そのものも安いと考えるぐらいなのである。それゆえ、命よりも高価と思われる事態が現れるならば、いつでも、きわめて沈着かつ敏速に、命を放棄できる覚悟が必要なのである。この名誉も武人とし健全な精神のみに宿るのである。