本部長通信337 2008年10月16日

極真空手道


(一)心身一体
 まず、人間は心と体の二重体である。極真空手道からすれば、肉体の正々堂々の戦いであり、心が道徳性のなんたるかの豊かな芽生えを、この原始的感覚で身につける。戦闘そのものは、攻撃でも防御でも、野蛮的でも、あらゆる欠点が内包されようが、そこから魂を磨き崇高な精神態度というものが出てくるのである。
 なぜなら、極真空手道にとって「臆病」ということは、健全で一生懸命稽古している人たちに対する最悪の屈辱的悪口であり、こんなことを言われたならば信念として許せないのである。
 それゆえ、このような屈辱をうけるより、武道を嗜むものとしての生きざまは、生活範囲が大きくなり、多面的な関係になると、志を持って稽古した歩みが、いっそう高い信念と、より高い精神態度としての理想へとつながっていくのである。高い道徳的な歩みが空手道を歩む人としての理想となるのである。これが人間の心身が合致する姿として、目指そうとすることになる。