本部長通信334 2008年10月13日

極真空手道


第三章 本性論
はじめに
本性論は極真空手道の本来的姿、すなわち本性的空手道を扱うものである。
ここでは、人間が求める人間観とは何かを論ずる。さらに、空手道に求める人間の本性も論じていく。
 多くの人々は、人間の現実の姿に満足せず、漠然と人間の本来的姿を探し求めてきている。人間の本来的自己の問題を追及しているが、だれも明快にこれを解決できないでいる。一方的に人生を悲観し、人生がなんであるかなど、苦悶の果てに命を絶ち終えた人も少なくない。このように、切実でありながら難しい問題が人間観の問題であり人生の問題でもある。
(一)代表的人間観
 今までの人間観の代表的なものを例示してみる。
@ ソクラテス・・・・「汝自身を知れ」
A アリストテレス・・社会的動物、理性的動物
B プラトン・・・・・イデア的存在、ポリス的人間
C キリスト教・・・・人間はイエスを通してのみ救援を受けることができる罪びと
D デカルト・・・・・理性的人間
E カント・・・・・・理性的道徳的存在
F ヘーゲル・・・・・世界精神に支配されている歴史的理性的存在
G フォーエルバッハ・類的本質をもった社会的存在
H マルクス・・・・・物質的社会的歴史的存在
I キルケゴール・・・罪人、単独者
J ニーチェ・・・・・超人を目指す生命的存在
K ジャスパー・・・・可能的存在
L サルトル・・・・・本質に先立つ実存
M その他・・・・・・知性人、工作人、経済人、宗教人、自由人、国家人、遊戯人
N 自殺者・藤村操・・人生不可解