本部長通信327 2008年10月6日

極真空手道


 私たちの結婚観は、いくつかの点では、いわゆるキリスト教の結婚観よりも進んでいると私は思っている。アングロサクソンの個人主義では、夫と妻は二つの人格であるとの考えを離れることができない。夫婦が仲たがいすると、二人別々の権利が認められるし、仲良くなれば、あらゆる種類の愚かしい愛称や、甘い言葉が飛び交う。夫が妻のことを愛らしいとか、賢いとか親切だというのは、不合理に響いてくる。
 私が通って大学院の尊敬する指導教官であった高橋教授は、妻のことをよく愚妻という表現をしていたが、果たして教授の奥さまは私たちから見て愚妻であったのであろうか。とんでもないことである。教授自身を「賢い私」とか「愛らしい性格の私」とかなどということは聞いたことはない。自分の妻を褒めることは自分自身の一部を褒めること私は思えるのである。
 それは、自己賞賛は、武士道を求める人間の間では控えめに言っても悪趣味だと見られるのである。自分の配偶者を礼儀にかなって貶めて言うのは武士道の間では普通良く行われた習慣なのである。それが武士道夫婦の調和なのである。