本部長通信270 2008年8月10日

道場生に対する指導者の希望(29)


 日本をある程度見聞きし、分かった上で、拠点を構えたのが、栃木県宇都宮市、清水町でした。
実際に会社を運営してみたいという欲求で、当時珍しかった自然栄養食のお店を開きました。
初めて、会社運営の厳しさと商品は売れないものという厳しい現実に出会ってしまいました。
 このときも、結局あらゆる形で、両親の援助を受けながらでした。宇都宮ではどうしてもやっていくことができなくなって、北海道へ逃げていきました。札幌郊外の農家を借りて、そこから商売の道を切り開こうとしました。
 再び、極真空手に出会ったのは、このときでした。北海道本部は、高木師範が仕切っていて、稽古も結構厳しかったのでした。事業と空手道の二つを追求する道が始まったのでした。当時夕張炭鉱が景気が良かったので、経営がうまくいかないときは、炭鉱の人たちの助けを受けました。今思え、高価な商品を本当に良く買ってくれたと今でも感謝に耐えません。