本部長通信255 2008年7月26日

道場生に対する指導者の希望(14)


師範は、極真空手が地上最強の空手であると思って、修行にいそしんだのでしたが、大山総裁は雲の上の人であったことは間違いなかったのでした。修練を重ねる中で、一歩でも総裁に近づきたいということが願いでした。
全日本空手道選手権大会に出場すれば、総裁に声をかけられるかもしれないぐらいの距離感でした。そんな修行が続く中、黒帯の審査がありました。そこで、総裁の顔を真正面にみて、この人がどんな偉人であるか自分でも鳥肌が立ったことをいまさらながら思い出されます。
何でそういう風に感動したのかというと、そのときはもう7年の年月も過ぎたころでした。総裁から与えてもらった理想があまりにも大きかったことを実感していたからでした。
その後、全日本に参戦していたときは、二回戦、三回戦の敗退でしたから、自分の実力のほどはたいしたことないと思いながらも、三十四歳まで現役で続けたものでした。当時三十四歳は最年長ということでの大会紹介になっていました。
 総裁の究極的な、最終的な願いなどそっちのけで、試合に出場していたものでした。ところが総裁の突然の死が私に待ち構えていました。極真会館は結局分裂した形になったのです。この分裂のさなか、大山総裁の遺志ということを考え始めたのです。
 四十歳になっていた、師範でしたから、青春時代のすべてのことが思い出され、若かりし頃の身体のすべての細胞が喜びに躍動していたことが走馬灯のように浮かんできたのでした。師範は、喜びと感動を持って青春時代を歩むことができたのも、この方のおかげであるという確信をするにいたったのでした。