本部長通信239 2008年7月10日

指導者が願う道(10)


 宮城県本部は、今新しい希望に向かって出発するようになってきました。創立七年の歴史を整理してみると、最初は何もなかった出発のときでした。わずか数人で出発しました。準備するものはなく、榴ヶ岡の軽体育館を拠点としながら、何もない中で理想だけを強調したときでした。
 それから、多くの人たちが道場の門を叩くようになって来ました。何もないところだったので、今の師範代を初め、指導者の苦痛はいかばかりか計り知れないものがあります。何もないから、本当についって良いのだろうか。師範は本当のことを言っているのだろうかとためらいながら、半信半疑でついてきたのだろうと思います。
 とくに、劇的な内容は、元の道場で、悪いうわさで私が取り巻かれていたのですが、壮年の方々が説明を求めたいと、私を訪ねてきて、しっかりとした判断をされて、ついてきてくださったことでした。そんなこんなで、何もない時期から、道場生が困惑しながらもついてきた年代へと入っていきました。
 そのようなベースが整って、道場生との確かな信頼関係の中で、師範自体が、誰も言えないような困難な道を歩むようになっていったのでした。指導している人たちが、何で人が増えていくのだろうと疑問に思った時期でした。誰一人として、師範がパンフレットを毎日家庭に配っているなど夢にも思ってなかったようです。
 そういう意味では、師範はすべてを否定される道を走ってきたような気がします。師範の生涯とミッションが破壊するのではないかという道を歩んできました。