本部長通信238 2008年7月9日

指導者が願う道(9)


 師範という立場を継続してみて、感じることは、栄光の賛美される立場としているのではないし、一人でやっていけるものでは決してないのです。大山総裁が築いた基盤の上に存在しているのです。総裁は使命半ばにして、天命をまっとうしましたので、その使命の分野は残っているのです。
 結構大山総裁の後継になって歩むということは大変なことだということを実感しています。なぜなら、一にも二にも総裁と比較される運命にあるのです。ある意味で、総裁と比較されるということは、すべてを否定される道を通るということでした。その中から新しい希望を師範として見出し、新しい戦略、新しい生命ある組織、そして新しい歴史を出発させなければならない内容でした。
 世界の極真会館の道場生は、仙台の師範を新たなる指導者として推挙するかといえば、それは難しい話です。今の講道館柔道も最初は本家本元として尊敬されていましたが、今は誰も理事にも入れないくらい、立場を失ってしまっています。教育者としての考え方を世界のどの極真会館の指導者が受け入れるというのですか。難しいものがあります。
 極真会館の中で、非常に大きな影響力を持っている人たちでさえ、大同団結を呼びかけていくことすら難しいのです。この団体の本質を掴んで、一致団結していく道を模索していくことはかなり厳しいことです。
 同時に、仙台の師範が、ほかに影響を与えようとするならばなおさらです。師範が歩む道は容易なものではないと心に決しております。膨大な極真会館の意味を深く追求して、どの方向性に極真会館が行けばいいのかを提示する道を切り開きたいといまさらながらに思うのです。