本部長通信227 2008年6月28日

創立七年目を迎えるにあたって(4)


 私が安斎道場の仙台の師範代として四年の歳月を費やしました。仙台の一番町の只中、日綜ビルの5階が道場でした。誰も入門者がいない中、出発しました。最初に道場生として入門したのが、予備校生の池田大輔君でした。彼はその後、兵庫の医学部へ入学を果たし今ではよき医者になっているのです。さらに、空手のセンスが抜群の山崎智大君が柔道整復師の勉強しながら、空手道に励んでくれました。師範代の四年間の間に、四百名の道場生が在籍する巨大道場として変身し始めたのでした。
 今極真会館宮城県本部を支えてくださっている両雄である、大友壮太郎五段と菅野歩三段の総師範代はこのとき、入門してくれた人でした。壮太郎五段は子供が空手を習うついでに入門しました。歩三段はその頃から国家資格の勉強をしていました。
 多くの弟子たちが駆けつけて、宮城県本部として社会に宣言できたときが、今から七年前のことになるのです。師範も一家の父母として家族を養っていましたから、弟子たちにどのように影響を与えていくかは不安でしたが、核のメンバーが支えてくださる極真会館として成長してきました。
 家族の長として、かたや道場生に責任を持つ師範として、道場生と家族に宣言できたときでした。それからの歩みは、道場運営に必要な資金が、供えられているように、回っていきました。さらに、本部道場をはじめ、60以上の教室で空手指導が始まりました。