本部長通信226 2008年6月27日

創立七年目を迎えるにあたって(3)


 師範が結婚して家庭を築いたのが、三十四歳のときでした.十年間の愛情を育てた末の結婚で、結構月日がたってしまっていました。関西に住んでいましたから、まさかふるさと仙台に帰ってくるとは妻も予期していませんでした。それも、ゼロからのスタートですから、支える妻も途方にくれたのは言うまでもありません。
結婚したときは、東京の三鷹の6畳一間の寮から出発したのでした。お互い仕事が忙しかったので、待ち合わせを近くのファミレスで11時過ぎにしました。未来の夢を二人で話し合い、部屋には午前一時を回っていました。それから、二人で休んで5時には仕事に出かける日々が続いていましたが、今思えば夢のような嬉しい日々でした。
 子宝にも恵まれ、順調な船出をしている矢先に、親の願いで仙台に帰ったわけですから、お互い夫婦の気持ちも大変でした。しかし、五人家族として父母となった私たちは、どんなことでも受け入れて歩める信念だけはあったのでした。夫婦では大変と思うことでも父母としてなら乗り越えられることもあるのだといまさらながら驚かされます。
 ふるさとに帰ってみると、良き友達がいました。我が両親が暖かく迎えてくれました。環境も準備され、協力してくれる友が存在し、地域環境に溶け込み、志を求める状況が整ったのでした。師範は平成6年に大学に入学して、これからの準備をし、平成10年の卒業時には、極真空手道のミッションに着手したのでした。まさしく、師範が家族の父としての顕現のときでした。