本部長通信223 2008年6月24日

何故極真空手を習うのか(21)


師範の願い
 道場生は、空手の修練を通じて、礼儀作法はもちろんのこと、不平不満の行動を慎むことであります。その行動の道は反発することにつながってきます。ですから、道場生は不満を抱くということは許されないのです。空手の修練に入ったならば、人と対照し比較するなということになります。
 人が気になり始めるのも納めなければ成りません。「勝ち負け」ということはどうしようもありません。ただ黙々と空手をするのみです。そのうち芽が出ます。子供たち同士を両親が比較対照しますが、その目玉はなにかというと悪魔の目です。ですから、両親の皆さん、その比較対照は取り消してください。
取り消して精算すれば、新たなる成長の道が生まれてきます。極真空手を極める本質がここにあります。本質を知らない立場においては、現実に苦しいのです。苦しくとも比較せずに努力していれば、時期来たら、それ以上の価値の道場生になります。間違いないのです。我慢です。だから稽古期間は文句言うのではないのです。道場生は死ぬまでやってから結論を下すべきです。
それができれば、十分師範に恩返しができると思います。最後にいいます。不平を言うな、感謝せよ 黙々と稽古しなさい。