本部長通信219 2008年6月21日

何故極真空手を習うのか(17)


気持ち悲しい師範の立場
現実に極真空手である程度まで成長して師範と師弟の関係を結んで、これを永続させてより成長させようとするのですが、両親が中間に入って、師範との架け橋を爆破してしまうことをしてしまわれると、それを誰が防備しようというのでしょうか。難しい話です。
 ただすべてを受け止めなければならない師範の立場、それを両親の協力を得て援助しながら、子供たちの成長を見つめていかなければならない師範は、悲しい気持ちになるのはいたし方がないのでしょうか。子供たちが成長し一人前になるのを見る期間が長ければ長いほど、言うにいえない気持ちが起こるのは師範だけでしょうか。
 もし、両親が師範の代わりに立ったならばどうでしょうか。いくら苦労しても一瞬です。その期間、大事に成長させたい師範の心は大変なものです。道場生が入門して二年か三年で、稽古して、ちょっと芽が出たとしてもこれからが正念場なのです。10年もならないのに移ってしまうようでは話にならないのです。
 一生懸命に稽古した道場生が、多くの極真空手の刺激を受けたのです。それが顔を上げて、出て行くなど師範としては夢にも思わないような立場であります。このような師範の立場は、愛情があればあるほど悲しいのです。稽古する道場生は、師範に対して親孝行のようなことをしなければならないのです。師範の最大の苦しみをほかの道場生が引き受けようとするものがあるならば、師範は救われることになるのです。