本部長通信217  2008年6月19日

何故極真空手を習うのか(15)


われらの行く試練の道
今後、今までの経験を師範は踏まえて、あえて、極真会館宮城県本部の中で人生を戦えと強調します。それは、師範自体が満足するためではないのです。道場生を教育したいし、喜ばせたいがためなのです。
 極真会館の指導を受けながら、最後まで従順に歩めなかったところから、ボタンの掛け違いが発生してしまいます。極真の理想を先立たせて、人間創造の道を完成させてあげなければならない師範なのです。これからの道場生にはあえて絶対必要条件として、最後まで従ってきなさいと宣言しておきます。
 両親にとっても、道場生にとっても苦労なことだと思いますが、結局道場生がこの道場で自分は変わったのだと誇りを持たせてあげたいのです。ですからついてくるこれからの道場生は苦労の道に思えるのです。なぜなら、宮城県本部の師範は努力を強調します。利害打算でこれから動くなと命令します。
 本当にすばらしい道場生になるためには、師範の指示に完全に従ってください。本当にすばらしい道場生を育てるのにはこの方法を求めざるを得ないのです。両親と道場生は、不栄不満は絶対禁物です。従って行きながらでも、希望に満ちて喜んでいかなければならないのです。組手の練習で泣きながらやるとしたらどうですか。自己創造のみちですから、あえて言えば、希望の道を今行きつつある立場だから喜んで歩んでください。宮城県本部の道場生の道は落胆を感じながら行く道ではないのです。道場生の諸君、苦しい道をすべて受ける器になってください。