本部長通信215  2008年6月17日

何故極真空手を習うのか(13)


自己創造の道
 道場生の道は、白帯から始まります。それは、自己創造の第一歩としての位置づけだからです。級から段へ育っていくのです。もし級がなければ、しっかりした目標がはっきりしないのです。どのレベルまでどうすればよいのかわからないのです。級がなければ理想の実体がはっきりしないのです。そこで級の必要性が生まれるのです。成長の過程において、修業的過程を通過するのです
それは、商人で言う、丁稚奉公からするのに似ています。そして一段階一段階と上がっていくのです。つまり、番頭になり、主人になるような道なのです。僕の時代から養子のような時代に入り、実子になり、理想的主になる道を歩むのです。
結局道場は、一人の道場生を立派な成人にし、師範の話し相手のような立場に立たせて、師範とともに、分かち合える人物を造ることが、教育の野第一義的な内容なのです。