本部長通信214 2008年6月16日
何故極真空手を習うのか(12)
完成させる極真の道
道場生が入門するときは、右も左もわからない立場からの出発なのです。師範をはじめ指導者は、道場生に極真の道をまっとうできるように投入するのです。道場生がまっとうしないと投入した愛情が戻ってこないのです。
師範は、本当に道場生が成長を願うならば、師範が培ったすべてを、道場生が完全になるまで投入したいのです。師範は、道場生が一人前の成人になるまで投入するのです。すべてを投げ打って師範が受け継いだ心技体がわかるまで投入するのです。道場生が師範の心情がわかるまで、つまり、本当の弟子に育ち師範の話し相手になる立場に立つまで投入するのです。それゆえ、師範が苦労したすべてを忘れて道場生のために喜びを感じるようになるのです。
ところが、師範が指導する宮城県本部の道場生の親の中には、ある程度立派に道場生が育つと手のひらを返すような行動をとるのです。師範は親を弟子にしているわけではないのでとても苦しむのです。いろんな事情や環境あるいは考えがあるかもしれないのですが、子供たちの道場生と、師範が投入しきる成人になるまで任せてほしかったと思ってしまうのです。
極真の道を完成させる道は、原理原則からみた場合、師範や指導者の犠牲ということを通らなければ、道場生の完成基準を満たすことは絶対不可能なのです。道場生一人ではいくら投入したって自分自体では何もできないのです。完成するまで力を投入することができなかった師範はとても苛立ちを覚えてしまうのです。
それゆえ、これからの親と道場生は師範を背負って、親と道場生の理想を再創造してほしいのです。師範とともに、師範に働きかけ続けて、自分を完成させる道を歩んでほしいのです。