本部長通信213  2008年6月15日

何故極真空手を習うのか(11)


極真精神の背後は犠牲
 「真」との関係は、本当の親子、本当の師弟の関係、本当の道場生との関係が成り立つ関係であるのです。極真の「真」の立場に立たなければ犠牲なる理想の目的にたつことができないのです。
 道場生の親子を見ると、道場生の立場から見ると、親が本当に子供のために一生懸命なのです。親は時間を割いてまで子供の成長のために我が身を振り返っていないのです。全面的に犠牲になっているのでそれは消耗する立場であると思うのです。
 しかし、子供が、親の姿勢を完全に理解し、真剣に取り組むとするならば、親は犠牲になった以上の喜びがふつふつ沸きあがってくるのです。
 本当の夫婦の場合を考えてみても、共に尽くしあうとするならば永続的に喜びが生まれて愛という感動が湧き上がってくるものです。共に尽くして夫婦と共にいかなければ意味がないのです。共に要求しあったら終わってしまいます。永続的に尽くしあってこそ愛という表現にふさわしくなるのです。
 本当の道場生たちの関係も、先輩が後輩のためにすべて尽くすことによって、そこになんともいえない良き関係が生まれてくるのです。先輩が率先して後輩のために、身を削るような極真であるからすばらしくなるのです.ゆえに極真精神の背後は犠牲が伴うことは当然なのです.