本部長通信206  2008年6月8日

何故極真空手を習うのか(4)


道場生の道
 極真空手を習う道をたどって道場生は、指導者の情熱・技術を学んでいく道を、たどっていかなければならないのです。たどっていく道を通して道場生は理想の自分に向かって投入していくようになるのです。
反対に指導者側からみると、稽古は、すべての情熱と技術を指導者が投入しなければならない立場に立つので、基本的には消耗戦になるのです。道場生が学ぶということは、コミュニケーションが活発になるし、関わり合いがより深く持てるので、指導者の消耗戦が喜びに変換されるのです。
 極真空手の道は、理想的人格を目指すので、稽古時間という、その現実そのものを犠牲にして投入しなければならないのです。その犠牲の度合いによって上達もし、極真空手の道を究めていくことにもなるのです。
極真空手の道は、自分なりに開拓していかなければならないのが道場生の道なのです。だから、一生懸命、苦労、苦行の道をたどって行かなければならないのです。これが根本なのです。

師範稽古 移動蹴り40分